The shack that Adam built
The shack that Adam built - アダムの建てた小屋
ナイジェル・ケーボンとアダム・ライリーはタインマウスにおける気の合う仲間で、キング・エドワーズ・ベイの砂浜にその存在を刻んでいる。ナイジェルはヴィンテージのメディシンボールでエクササイズしたり、新しい服をこなれさせるのに苦心していて、アダムは地元でとれた非常に需要の高い魚を、独自にオープンしたの小屋レストランにて調理・提供している。ナイジェル・ケーボンのダンガリーとビーニーという組み合わせの制服にスタッフが着替えている間、アダムは親切にもライリーズ・フィッシュ・シャックがどのように今日のような地元のアイコン的存在になることができたのか話してくれた。
イギリスのビーチはどこか特別だ。良い天気の日にキング・エドワーズ・ベイに向かう砂の散った小道を歩き、太陽が絶壁を照らす様子を見ると、何故だかコスタ・デル・なんとかビーチで日焼けをしながらSNSのフィードをスクロールばかりしているような1日よりも、ずっと貴重に感じられる。
イギリスのビーチはどこか特別だ。何故なら、キング・エドワーズ・ビーチの空がガンメタルグレイ色になって、水の動きがTVの砂嵐のように細かく荒々しくなったとしても、その場所に居たいと感じさせてくれるから。もちろん、簡単に成せることではない。ジャケットのジッパーを上まであげて、ハッチには当て木をしなければならない。しかし、経験するに値することが、容易かったことがあるだろうか?どんなものが見られるかは、海軍スタイルのダンガリーに、いちばん正統なこなれ感(決して着古し感ではない)を出させているナイジェルに訊いてみるといい。砂に膝をつけて、手にはライブロ生地をしっかり握っている。重みのある素材を水に潜らせ、塩が染み込んだ石で、うやうやしく表面を削り取っていく。
イギリスのビーチはどこか特別だ。どんな天気であろうと、キング・エドワーズ・ベイではライリーズ・フィッシュ・シャックのような場所を見つけることができる。木材と、鉄と、フックと、ストーブと、地元のキッパー(鮭やニシンの燻製)や地元の面白い人たち。キング・エドワーズ・ベイだけに存在するものであるのは、アダム・ライリーのような人物だ。マン島のキッチンで仕事を始めた10代の「やんちゃ坊主」(母親が、仕事をすれば、面倒に巻き込まれないだろうと思ったから)はタインマウスに落ち着き、地元の漁師にも大都市の料理批評家にも同じく称賛される、食べ物屋の舵をとるようになった。
どんなきっかけで、料理の仕事をするようになりましたか?
マン島で育って、10代のころに地元のレストランで働き始めました。エキセントリックなスイス人の大富豪が、趣味で経営している店でした。外に食糧採集に出かけたり、オーナーが丸ごとの野生イノシシを持って現れたりとか、すっごく楽しかった。わくわくできる職場で、母さんも僕をストリートから引き離すことができて、喜んでいたと思うよ!
そこから、現時点まではどのようなルートを辿って来られたんですか?
17歳のときに地元を離れて、父さんがずっとニューカッスルに住んで劇団を運営していたんです。音楽制作を暫くやって、劇場関係の仕事も沢山しました。セットのデザイン、音響のデザインとか、いろいろ。残念ながら、同時期の他の似たような人達と同じく、2010年に劇団がアーツ・カウンシル(芸術委員会)からの資金援助を大幅に失ってしまって。
妻と一緒にタインマウスに住んでいて、前からずっと、魚料理の店をやれたらいいなと話していました。ここには魚市場があるけど、その殆どが外に出て行ってしまうので、ここで魚を調理している人はいなかったのです。
ちょうど、ジュビリーの頃(エリザベス女王の即位60周年記念Diamond Jubillee, 2012年)、BBQ台を自転車に溶接したときに本格的に始まりました!ちょっとした楽しみとしてやったんだけど、魚と食べ物に関係することをいろんなイベントでするようになって、そこから広がっていった。なかなかの数のフォロワーができて、2015年までには、今ここにある小屋を建てて、魚料理の店をオープンできるくらいのお金が貯まったんです。
タインマウスがぴったりの場所だと感じた理由はなんですか?
沿岸に住むなら、ここに住みたいなとずっと思っていて・・・少なくとも僕にとっては。美しいビーチがあって、清潔で・・・もう長年、父さんや他の人たちも、キング・エドワーズ・ベイに毎朝泳ぎに行っていた。静かで、荒らされていなくて、つまり、活用されていなくて、孤立していたということでもあります。だからこそ惹かれたという面もあるけど。カウンシル(地域の行政官)からは、もっと人の行き来が多いところに行くべきだと言われたけれど、同意できなさすぎて怒りを感じたよ!ここでは、皆を満足させるように頑張る、というよりも自分らしい空間を創る事が出来る。多数の為に何かをするのは、自分が提供できるものを薄める結果になってしまうと思うんです。
その空間は、どのようにして築かれたのでしょうか?
人に少し手伝ってもらいながら自分で建てたんですが、作りながら変化させていくのが好きで、職人さんが沢山関わるような大きい建物ではそれは使えない。この魚料理の小屋は、劇場のセットを建てていたときのような方法で造れました。自分がピンときたことをするという、それ以上のことはなかったです(有難いことに義理の兄弟が建築家で、建築規制などについて教えてもらえて、とても助かったということはありました!)。
そして、僕たちにはナイジェルのダンガリーがあって、所謂ユニフォームになっているところが大好きなんです。それぞれ個人のスタイルに合わせて着られるし、不自然じゃなく、ゆったりした感じの雰囲気になって・・・勿論、最高に機能的っていうところも。
そちらでやっておられることの全てのことが、そのようなタイプの機能性や真正性を前面に出すことが重要だと思われているように感じます。
地元の市場で購入出来るようになるためには、業者として、保証金を払わないといけない。初めに2012年か2013年に登録したときには、みんなに笑われました!「こいつ何者だ?6ヶ月もすりゃ、いなくなるさ・・・」ってね。でも、時間が経つにつれ、もちろん尊敬の度合いは増してきて、僕たちはすごく良い値段で買い付けできるし、言ってみれば、有効に業者およびレストランとして機能できたということ。市場での魚の価値を上昇させて、漁師さんたちは儲けが増えたので、凄く良かったと思います。
本当に、僕たちがやっていることは、皆にとって良いことなんだ。地元の魚を買う人が増えたし、ノースシールズの存在をアピールする手助けにもなっているから。